決められた決勝点

 一つの言葉が人生を左右するときがある。一つの言葉から勇気が湧きあがり、難局を乗り越えられるときがある。

 これは、私の信条のひとつです。人を励ます言葉には、大きな「力」があると実感しています。

 私の教員人生を支えてくれたのは、アメリカを代表する詩人ホイットマンの不朽の名作『草の葉』にある次の一文です。『草の葉』は、人間の尊厳や可能性、そして希望を力強く謳いあげた詩集として知られています。

 さあ、出発しよう! 悪戦苦闘をつき抜けて!
 決められた決勝点は取り消すことができないのだ。(注1)

 この一文は、どれほど困難な状況にあっても、自ら定めた理想や目標を見失わず、歩み続けることの尊さを教えてくれるものだと感じています。

 私がこの言葉と出会ったのは、小学校で担任をしていたときのことです。新学期が始まり、早くも二ヶ月が過ぎた六月ごろでした。私は「子ども中心の学級づくり」を実現しようと強く決意していました。子どもたちが互いの意見を尊重し、自ら考え、自ら行動する──そんな学級をめざしていました。しかし現実は、子どもどうしのトラブルや、家庭環境に起因する問題が次々と生じ、私が思い描いていた教育とは程遠い状況でした。

 そんな中、事あるごとにアドバイスしてくださっていた先輩教師が私に語ってくれたのが、先ほどの一文でした。

 「課題が多くて、君は『子ども中心の学級づくり』をめざしながらも思い悩んでいるね。ホイットマンは、現実に負けず、力強く生きることを謳いあげた詩人だが、今の君の心情にぴったりだと思うよ。君にとっての“決められた決勝点”とは、その理想の学級づくりだ。その目標だけは、決して見失ってはならない。だからこそ、その理想から逆算して、現実の課題に真正面から向き合う覚悟が必要だ。さらに大事なことは、“さあ、出発しよう!”と、自らを鼓舞し続ける不屈の精神だ。私はこの一文に、単なる精神論ではない、人としての揺るぎない生き方を感じるのだよ。」

 その後、私はこの詩の意味するところを、より深く思索しました。現実に立ちはだかる学級の課題に心を砕いていた私にとって、この詩との出会いは、心に一筋の光が差し込むような出来事でした。そして、揺るがぬ理想に向かって歩み続ける勇気を得ることができたのです。

 このときの経験は、その後、小学校長として学校経営を進める上でも、私の大きな拠り所となりました。「誰も置き去りにしない」を基本理念に掲げ、私がめざしたのは、学力の差や家庭環境の違い、障がいの有無にかかわらず、すべての子どもが自分の居場所を実感でき、教職員もまた大切にされる学校でした。

 しかし、子どもをめぐる問題や、教職員が抱える苦悩は決して少なくありませんでした。それでも私は、それらの課題と向き合いながら、「誰も置き去りにしない」という理念の実現をめざして歩み続けようと心に期したのです。不思議なことに、揺るがぬ覚悟をもって向き合うことで、一つひとつの課題を粘り強く乗り越えることができたのです。

 小学校長としての日々を送っていた、六月のある朝のことです。晴れやかな気持ちで通勤電車の先頭車両に乗り、梅雨入り前の初夏の空を映し出す水田の景色を眺めていました。すると、目の前に広がる光景が、ホイットマンの詩と重なって見えてきたのです。まっすぐに伸びる線路は、学校長として進むべき道。めざす駅は、決められた決勝点。そして、流れゆく景色は、その目標へ向かう歩みの中で出会う心の風景でした。

 その日の職員朝会で、私はこう語りました。

 「今朝、通勤電車の先頭車両に乗っていました。運転席越しに、初夏のさわやかな景色が広がっていました。まっすぐに伸びる線路の上を、電車は目的地に向かって滑るように進んでいました。その光景が、『誰も置き去りにしない』という理念のもと、目標に向かって歩み続ける教職員の皆さんの姿と重なって見えたのです。窓越しに流れていくさわやかな景色は、その歩みの中で出会う、忘れ得ぬ経験のようにも思えてきました。今日も子どもたちのために、ともに汗を流しましょう!」

 車窓から見える水田のほとりには、初夏を告げる菖蒲しょうぶの花が、さわやかな風にそよいでいました。その姿はまるで、「今日も負けないで!」と、私を励ましてくれているかのようでした。

~「さあ、出発しよう!」――志を新たにする日 ~ (勝)

(注1)「詩集 草の葉」 ウォルト・ホイットマン 著、富田砕花 訳、第三文明社、2018年7月 初版第1刷発行、291頁・292頁から引用。

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