薫風さわやかな季節になりました。若葉の香りに包まれるこの時季は、春の遠足シーズンでもあります。この時季になると、私には今でも蘇るシーンがあります。
それは私が小学校高学年の担任をしていた頃、春の遠足で、ある野山へ出かけた時のことです。野山には春を謳歌するように美しい草花が生い茂り、木々の緑が日差しに輝いていました。新学年が始まって多忙な一ヶ月を過ごした私は、子どもたちと一緒にさわやかな気持ちで春の野山を満喫していました。
そんな春の自然風景の中に、なんと、蜘蛛の巣を見つけて興奮している子がいたのです。美しく華麗な草花や木々の緑よりも、蜘蛛の巣に大いに興味を示していたのです。いや、その子にとっては、蜘蛛の巣も、素晴らしい自然風景の一部であったのでしょう。
「うわぁ、蜘蛛の巣や。とても大きな蜘蛛の巣や。すごいぞ!みんな、見てみ!先生もこっちに来て見て欲しい!」
その言葉に他の子どもたちの表情は複雑でしたが、私はその子に近づいて言いました。
「確かに、大きくて立派な蜘蛛の巣やな。君は蜘蛛が好きなんだね」
「そうや。蜘蛛だけではなく、いろいろな虫も好きなんや」
「なるほど。ところで、蜘蛛がどうしてこんな巣を作るのか、知っている?」
「知ってる、知ってる。それは、ここで餌になる虫を捕まえるためや」
こんな言葉を交わしていると、学級の子どもたちが集まってきたのです。私は高学年の子どもには、機会を見つけては、将来のためにとの思いから“ちよっと難しい話”をするのが常でした。
「君の言う通り、蜘蛛の巣は、餌になる虫を捕まえるためにこのように糸をいっぱい張った巣になっているんだが、しっかりと張り巡らされた糸のおかげで、蜘蛛はこのようにここに居られるとも言えるのだよ。人間も同じで、多くの人たちとのつながりがあるから生きていけると思う。多くの人たちの心と自分の心が“見えない糸”でつながっているからこそ、人は生きていけると私は思うのだよ」
私の話を聞いていた子どもたちの様子を見ると、「なるほど」とうなずく子もいれば、「先生の言っている意味がさっぱりと分からない」という顔があるなどまちまちでした。しかし、いつかどこかで、“そうか、こういう意味だったのか”と理解できれば良いとの思いで語ったのです。
“人は人の中でこそ、成長できる”とは私の一貫した信念です。人との”つながり自体”が、生きる活力になるからです。3年以上に及んだコロナ禍を通して、人とのつながりの大切さ、麗しい人間関係を築くことの素晴らしさを、より一層強く感じるようになった方も多いのではないでしょうか。
それでは、麗しい人間関係を築くためにはどうすればいいのか。共通の趣味でつながり合ったり、どんなことでも語り合えたりという間柄はもちろん大切ですが、そんな関係に留まらず、互いに成長し合える間柄こそが、麗しい人間関係を築くために重要であると私は思うのです。なぜなら互いに励まし合い、切磋琢磨する間柄には行き詰まりがないと言えるからです。
混迷の度合いを増す予測不可能な時代にあって、多様な個性を活かすことが課題を解決する上で不可欠だと言われています。人が共に支え合い、認め合うことの重要性が叫ばれる今、”互いに成長し合い、より高みを目指していく人間関係”こそが、新たな世の中を切り拓くひとつのカギであると痛感します。
なかんずく、子どもにとって最も温かなつながりであるべき親子の関係が、互いに成長し合う関係で結ばれることを切に願うばかりです。「子どもは親の背中を見て育つ」と言いますが、親の日々努力している姿から、子どもは多くを学んで成長していくのではないでしょうか。
発達障害と診断された我が子に、深い慈愛で接しておられるお母さんの話を以前紹介しました。その方は、その後「児童発達支援士」の資格を取得され、現在は「発達障害コミュニケーションサポーター」の資格取得をめざして挑戦されています。
また、事情により高等学校に行くことができなかったあるお母さんは、小・中・高の3人のお子さんを育てながら通信教育で「高等学校卒業資格」を取得され、現在は自ら事業を起こすべく挑戦されています。
いずれも、お母さんの“学ぶ意欲”“挑戦する姿勢”が、お子さんの伸びようとする可能性を開花させるに違いありません。自分が成長した分、子どもも成長する ─── まさに、“教育は共育”であることを実感する、2人のお母さんの生き方です。
母のような葉桜の大木に、子どものような可憐なサクランボが実り始めました。まるで、お母さんとともに、成長しているお子さんのようです。
~ 母の生き抜く姿こそ、“いちばんの教育環境”と、しみじみ思う日 ~ (勝)