最近、感動をもらった子どもたちのことを、お話します。
ある小中一貫校を訪問した時のことです。私は正門のオートロックを解除してもらうために、インターホンに向かっていました。そこには私よりも先に解除してもらい、中に入るところの10歳ぐらいの子がいました。放課後なので子どもたちは下校していましたが、忘れものでも取りにきたのでしょう。私はセキュリティーのことを考え、一旦扉が閉まってから、もう一度解除してもらうことにしました(学校は子どもの安全を守ることが最重要です)。ちょうどその時、「中へどうぞ」という声がインターホン越しに返ってきました。すると、それを確認したその子は、「どうぞ、お入りください」と言って、閉まりかけていた扉を持って入場を促してくれたのです。
その子の機転が利いた振る舞いに、私は嬉しさと気恥ずかしさが入り混じった複雑な心境になりました。─── 大人顔負けの気づかいができる、何と礼儀正しく心優しい子であろうか! ─── と感動が込み上げてきました。
また、ある中学校を訪問した時のことです。学校のフェンス横を歩いていると、運動場で体育をしている生徒たちが目に入ってきました。先生が見守る中、生徒たちは自発的にウォーミングアップをしていました。駆け足をしたり、ストレッチをしたり、その動きは「さすが!中学生!」と思うほど、きびきびしたものでした。規律ある行動の中で互いに言葉をかけ合い、励まし合っている生徒たちからは、友情の絆が感じられました。
私は、さわやかな体育の授業を目の当たりにして、心あたたまる思いに包まれたのでした。─── 互いに認め合い、高め合う授業がこれなんだ! ─── と心の中で叫んでいました。
そして、ある小学校の校長先生からお聞きした出来事です。能登半島地震(2024年1月1日)の被災地に対して何かできないかと、5年生たちが自発的にプロジェクトを立ち上げました。そして、地元の社会福祉協議会など、地域を巻き込んで大きな募金活動を行ったのです。これまでも同校では、高学年が中心となって募金活動をしてきましたが、そのような先輩たちの姿を見てきたからこそ生まれた行動だったのです。
他方で、6年生のひとりが、被災者に伝えたい思いを手紙にしました。消防局に勤めていた父親が救助活動にあたるため現地に行くことを知り、父親に手紙を託したのです。その手紙は、避難所となっている被災地の小学校に掲示され、多くの人たちの心の支え・励みとなりました。そして、手紙を読んだ人からの感謝の言葉が、警察官を通じて同校に伝えられました。この、1通の手紙から生まれたあたたかい“心の交流”は、報道番組でも取り上げられました。
子どもたちの自発的な行動は、多くの人々の心に“あたたかな春風”を送ったことと思います。─── 純粋無垢で清らかな子どもの心こそが、未来を切り拓くエネルギーだ!─── との確信を深めました。
「子どもは社会を映す鏡」と、しばしば言われます。子どもは社会的立場が弱く、感受性が強い存在です。従って、さまざまな影響を受けやすく、子どもに社会の実像が映し出されてしまうのです。この言葉の意味を深く捉えながら、私が小学校の校長を務めていた時に、いつも心に期していたことがあります。
─── 学校こそが、子どもを健全に育成する“社会の要“である。だから、学校には、“尊い使命”があり、“重い責任”がある。「子どもは学校の鏡」であるとの“覚悟”を持つことだ ───
紹介した3校の子どもたちに共通することは何か。それは、“人に対するあたたかな眼差し”を持った、清らかな振る舞いや自発的な行動ではないでしょうか。それこそが、学校の教育活動の成果を、鮮やかに映し出しているものと思えてなりません。
このように、定性的で「数値化されない成果」も重要視することが大切であると痛感します。ここに紹介した子どもたちが、あらためてそのことに気づかせてくれました。
薄紅色の梅の花が美しい季節になりました。花言葉は「清らかさ」です。
~ 梅の花に、子どもたちの“可能性の開花”を感じる日 ~ (勝)