希望を創り出す春

 教育現場では新年度がスタートしました。時を同じくして、校庭の花々も春爛漫の彩りを見せています。教職員の皆さまも、それぞれの立場で新たな歩みを始めておられることでしょう。
 この春、長年にわたり教育に尽くされ、ご退職を迎えられた皆さまには心から感謝申し上げます。そして、第二の人生に幸多きことをお祈りいたします。また、さまざまな事情により休職されている方々もおられます。どうか十分に英気を養い、一日も早く元気な姿で職場に戻られることを願っております。

 それは、私が小学校長を務めていた4月のことです。新年度を迎えてもなお、多くの課題が山積していました。教職員の不足や、さまざまな事情を抱えた子どもたちへの向き合い方、保護者・地域・関係機関との連携など、考えるべきことは尽きず、朝の通勤時でさえ頭の中はそのことでいっぱいでした。
 そんな課題に思いを巡らせつつ、駅のホームへと続く階段を上がっていました。そのときです。考えごとをしていたせいか、足を踏み外してしまい、気がつくとあっという間に階段の途中で両手両足を広げるような格好で倒れ込んでいました。通勤者であふれる階段でしたが、誰一人驚いた様子も見せず、私を避けるようにして通り過ぎていきました。そんな中、一人の若い男性が立ち止まり、「大丈夫ですか」と声をかけてくれたのです。私は服の汚れを払いながら、「大丈夫です。ありがとうございます」とお礼を述べると、彼は安心して階段を駆け上がっていきました。
 やっとのことで乗ることができた満員電車に揺られながら、私はその出来事を反芻はんすうしていました。すると、胸の内にいくつかの思いが浮かんできました。
――失態をおかしてしまったが、恥ずかしさと同時に、どこかさわやかな気持ちにもなっている。それは、あの青年の、さりげなくもあたたかな声掛けのおかげではないか。相手を気づかう言葉には、人の心をあたためる力がある。

 そんな思いを抱えたまま学校に着いたその日、ある担任が、感情を高ぶらせている子どもの手を引きながら校長室にやって来ました。
 「校長先生、忙しいところ申し訳ありません。少しの間、この子の気持ちを聴いてもらえますか」
 「どうしたのですか」
 「今日は機嫌が非常に悪いので、友だちとトラブルが絶えません。授業中も騒がしくて、授業が成り立ちません」
 「よく分かりました。落ち着くまで、しばらく校長室でこの子の思いを聴いてみます」
 私は、担任一人で多くの子どもを指導することの難しさを、日頃から感じていました。だからこそ、少しでも担任の助けになればと思い、さまざまな事情を抱えた子どもたちがいつでも気持ちを話せるよう、校長室を開放していました。このときも、担任の気持ちを察し、私は子どもと向き合おうとしました。まずは気持ちを落ち着かせようと、校長室のソファに並んで座り、二人でゆっくりと話をしました。以前から担任を通してこの子の事情を聞いていましたが、子ども自身の口から語られた言葉には、胸がしめつけられる思いがしました。この子の抱えている心の重さは、学校だけで容易に解決できるものではなかったのです。
 ふと、今朝の出来事が鮮やかによみがえりました。「解決しなければならない」という思いに、とらわれていた自分に気づいたのです。私は考えを改め、「そうだったのか」「それはたいへんだったね」「よくがんばっているね」といった、子どもの思いがそのまま表れるような言葉だけを返すことにしました。二人だけの静かな時間の中で、子どもの気持ちは次第にほぐれていきました。家庭での様子や友だち関係のことを、子どもなりの言葉で語り続けました。やがて、自分の思いを出し切ったかのように落ち着きを取り戻し、自らの意思で教室へ戻っていきました。子どもが校長室を後にしたとき、私は強く思いました。
――子ども理解の出発点は、「教えること」でも「正すこと」でもなく、「聴くこと」と「心からの声掛け」にある。
 その後、担任と情報を共有しながら関係機関と連携を図り、その子には教育支援員が配置されることになりました。解決へ向けて確かな一歩を踏み出すことができたのです。

 新年度は、どの教育現場においても、多くの課題を抱えてのスタートだと思います。とりわけ小学校では、担任が一人で問題を抱え込みがちになります。だからこそ必要なのは、単なる叱責としての指導ではなく、その子を理解しようとする教師自身の姿勢であり、日々の声掛けであると思います。さらに、個々の教師だけでは対応に限界があります。スクールソーシャルワーカーなどの専門職と協働する「チーム学校」の体制づくりが、これまで以上に求められていると痛感します。

 季節はめぐり、冬の後には必ず春が訪れます。しかし、教育現場における「希望の春」は、ただ待っているだけで訪れるものではありません。子ども一人ひとりに寄り添い、その心に光を届けようとする日々の営みの中でこそ、創り出されていくものだと確信しています。
 新学期のこの時期が、教育現場にとって「希望を創り出す春」となることを、心より願っています。

 ~ 春の草花に、「希望を創り出す春」を重ねて想う日 ~  (勝)

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