ある日の朝、プラットホームで電車を待っていた時のことです。向かいのプラットホームに目をやると、小学生の団体が遠足のために電車を待っていました。「今から電車に乗りますが、まわりのお客さんに迷惑をかけないように、行儀よくしてくださいね」と、担任の先生と思われる方の言葉が聞こえてきました。この光景を眺めながら、「先生方、本当にご苦労様です」と私は心の中でつぶやきました。
遠足は、子どもにとっては楽しい学校行事ですが、“安全第一”を最も大切にしている先生方にとっては、非常に神経を使う行事です。特に、遠足当日は子どもたちの気持ちが高ぶっており、そこでいくら指導しても心に響かないため、学校での事前指導が大切です。私も担任時代、車中や現地でのマナー、途中の歩き方など、事前指導に多くの時間を費したことが思い出されてきました。
しかし、“安全第一”の遠足にと臨んで実施したものの、私の校長時代だけでもさまざまな“予期せぬアクシデント”が起こったものでした。その中でも次のふたつのアクシデントは、今もなお脳裏に焼き付いています。
ひとつは、低学年の遠足でのことです。田んぼの中の道を歩いていたのですが、細い道だったので、2列になって隣同士が手をつないで歩いていました。やがて、前方からランニングをした人がやってきたのです。担任はすぐさま子どもたちに、「手を放しなさい!」と叫んだのですが、低学年の子どもたちはすぐにその意味を理解することができず、あたふたとしていたのです。私は列の一番後ろで、「ランニングをしている方が立ち止まって、子どもが手を放すのを待ってくれるだろう」と眺めていました。ところがあろうことか、その人はまだ手を放していない子どもたちの間めがけて、“ラッセル車が雪をかき分けるように”突進してきたのです。あまりにも予期していなかった出来事に、田んぼへ落ちる子やその場に倒れ込んでしまう子がかなり出たのです。幸いにも大けがをする子はいなかったものの、ひとつ間違えば大惨事になっていたのです。
もうひとつは、電車で出かけた高学年の遠足でのことです。あいにく朝の通勤ラッシュと重なり車内は超満員。その中で、子どもたちは事前指導の成果か、それはそれは静かに固まって乗っていたのです。しかし、高学年といってもまだ小学生。電車が揺れるたびに、決して大きな声ではなかったのですが、「きゃ!」「うわあ!」と声を出す子もいたのです。その時、この子どもたちのそばにいたサラリーマン風の方が、「うるさいな!」と言わんばかりの表情で子どもたちをにらんだのです。さらに、そばに座っていた別の方は、迷惑そうな視線を時々子どもたちに注ぎながら本を読んでいたのです。
もちろん、まわりに迷惑となるような声を出さないのが乗車マナーであるのは確かです。それでも、かつての遠足の車内での光景は、“自分にもこんな時期があったな”“私の孫もこのように遠足に行っているのかな”というあたたかい気持ちで眺めておられた方が多かったという印象があります。
しばらくして、電車は遠足目的地近くの駅に停車しました。子どもたちをプラットホームで並ばせるために各担任が最初に降り、私は子どもたちが全員降りたことを確かめるために、一番後から子どもを追うように降りていこうとしました。ところが、出口付近に乗客が多くいたため、なかなか思うように降りることができませんでした。この学校の通学着は制服(学校により、標準服、通学服)ではなく私服であったために、満員電車の中で瞬時に子どもたちがどこにいるのかを確認するのがとても大変でした。私は、短い停車時間に早く全員を降ろすことにものすごく焦ったのを、今でも昨日のことのように覚えています。
この2つの“予期せぬアクシデント”は、子どもの“命を守る”ための3つの“ひらめき”を私に与えてくれました。
1つ目は、現代はストレス社会で大人の心に余裕が無くなり、未来を担う子どもたちへの眼差しには、かつてのようなあたたかさが無くなってきているという点です。ゆえに、子どもの“命を守る”ための安全・安心な取組は、そのことを念頭において捉えていく必要があります。そして、子どもをとりまく教育環境を“あたたかい”ものにしていくためには、学校が中心となり、保護者・地域だけでは見えない方向性を示す“羅針盤”とならなければならないと思ったのです。
2つ目は、校外学習や、特に災害等の非常事態時を想定したとき、子どもの“命を守る”ためには、瞬時に“一目瞭然”で我が校の子どもが見分けられる制服が必要であると強く思ったのです。それまで、私が着任したすべての学校に制服があったため、“制服の効果”について取り立てて考えたことはありませんでした。しかし、このときの“予期せぬアクシデント”により、“制服の効果”を再認識できたのです。
そして、以上の2つの“ひらめき”は、地域・保護者・教職員の全面的な理解と協力なくしては、現実のものとして実を結ばないということを再確認したのです。これが、3つ目の“ひらめき”となりました。
長年教育現場に身を置いてきて、今あらためて思うのは、数々の“ひらめき”はいつも教育現場から生まれてきたということです。そして、その“ひらめき”を現実のものにできたのは、地域・保護者の方々、さらに教職員の方々の理解と協力があったおかげであり、今でも感謝の念を禁じ得ません。本当にありがとうございました。
なお、その後、この学校では、安全・安心はもとより、学力向上や服の格差解消のために、地域や保護者、さらに教職員の方々の全面的な理解と協力を得て、学校制服を導入しました。そして、子どもたちの登下校をいつも見守っていただいた地域の方からの次の言葉は、いつまでも忘れられません。
「校長先生、制服にしていただいたおかげで、うちの学校の子どもだということがよく分かり、以前よりも目が行き届くようになりましたわ。それと、以前よりも、落ち着いてきたと感じますよ。ありがとうございました」
~ 紅葉前線のたよりが聞かれ始めた日 ~ (勝)