以前、私はおばあちゃん(義母)と同居していたのですが、子育ての仕方や人としての生き方等、おばあちゃんから多くの事を学びました。その一端を、昨年の本コラム「おばあちゃんの言葉」(2021.4.26掲載)で紹介させていただきましたが、花々が競うように美しく咲くこの時季になると、鮮やかに蘇ってくるおばあちゃんとの心温まる光景があります。
その日、おばあちゃんは、大事に育てていた草花に
「早く、大きくなるんやよ。早く大きくなーれ!早く大きくなーれ!」
と、言いながら水をあげていたのです。そして、傍らで不思議そうな顔をしていた私に、
「かっさん(当時、私はそう呼ばれていました)、花は何もしゃべらないが、“早く大きくなーれ!早く大きくなーれ!”と言いながら水をあげると、元気に育つんや」
私は、おばあちゃんが語ったこの言葉が今でも忘れられません。その時は、非科学的なことのように思ったのですが、後々よく考えると、“早く大きくなーれ!早く大きくなーれ!”と言いながら水を与えることで、その与え方が変わり、効果的な水やりになるのではないか。結果、元気な草花が育つことになり、実に科学的な考え方であるとの結論に至りました。そして、草花にも人の思いは通じるとの思いになりました。教育者でも学者でもない、平凡な一庶民の何気ない言葉でしたが、私はその言葉に、人生の幾山河を生き抜いてきた“深さ”“偉大さ”を感じたのです。
「生みの親」「育ての親」という言葉があります。生みの親に対して恩を感じるのは当然のこととして、私はつくづくおばあちゃんに、「育ての親」としての恩を感じています。
“人は人によって磨かれる”とは私の一貫した人生観ですが、「あの人の言葉で、見事に乗り越えることができた」「今日あるのは、あの人のおかげだ」等、私たちは多くの方々との“縁”によって、自分の生き方をより良い方向へと導いていただいたのではないでしょうか。そのように考えるならば、“縁”した多くの方々は、広い意味での「育ての親」と捉えることができるのではないでしょうか。
“多様性の尊重”が叫ばれている今、私は自分を成長させてくれる方々を、「育ての親」として捉える視点が必要であると痛感するのです。自分の可能性を開花させるためには、多くの方々との“交わり”を、多様な方々との“対話”を積極的に求めていく必要性を感じます。
性別や年齢、人種や国籍、宗教や信条、言語や肌の色、身体的なハンディキャップ等により、誰人も不平等を被ってはならないという“多様性の尊重”の根底に、“周りの人々は育ての親”という視点を据える必要性を感じます。“多様性の尊重”が言葉だけに終わることなく、確実に現代社会に根付かせ、“多様性の文化”として開花させるために、“周りの人々は育ての親”という視点を身につける必要性を感じるのです。
では、そのような視点を身につけるためには、どうすれば良いのか。それには、どんな人をも受け容れることができる“心のうつわ”を持つことが大切であると考えます。“心のうつわ”は、ガラスや陶器のように形が決まっているというものではなく、相手の心の状態に合わせて自在に形を変えることができる“ゴム風船のような心のうつわ”であれば、先入観なく話を聴くことができ、相手の思いを“すべてどっぷりと”受け容れることができるのではないでしょうか。
5月21日は、2002年12月の国連総会で宣言された「対話と発展のための世界文化多様性デー」でしたが、私たちの足元から一歩一歩、多様性の文化が花咲く世界を目指していきたいものです。
今年も、生前、おばあちゃんが育てた垣根の「つるばら」が、小さいつぼみをいっぱいにつけて、今、淡く黄色い花が満開になりました。まるでおばあちゃんが、“私がいなくても、大きく育ててくれて、ありがとうね!”と、にっこりとほほ笑みながら語っているようです。
~ “多くの人々が心を結び合う世界に!” と、願う日 ~ (勝)