子どもをど真ん中に

 どの子どもにも、大人と同じ一人の人間として尊重されるべき権利がある ─── そのことを明文化した「子ども権利条約」が国連で採択されたのは、1989年の11月20日でした。深まる秋のこの季節に「子どもの権利」について、なかんずく「教育を受ける権利」について、じっくりと考えてみたいものです。
 11月になると、保護者に対しての学習発表会や、図工・家庭科の作品展などを行う学校が多いかと思います。また、他校の先生方に対して、授業力向上の研究成果を発表する学校もあるかと思います。まさにこの時期は、“1年間の教育活動の成果”を内外に示す時期であると言えます。

 それは、私が小学校6年生の担任をしていた時の出来事です。学校では、授業力向上の研究教科として国語を取り上げていました。その成果を発表する11月のある日、市内の小学校から多くの先生方が参観に来られ、全学級が国語の授業を公開しました。
 私の授業は、子どもたちが好きなことわざを選び、まつわる出来事や思いを文章で表現するというものでした。私は事前に、市内の小学校から多くの先生方が来られ、授業を参観することを子どもたちに伝えました。そして、「すばらしい授業をしよう!」と熱っぽく語りました。そこはさすが6年生です。「よし!先生まかしとき。僕たちは頑張って授業をするからな!」と、私の気持ちを察してやる気満々になってくれたのです。

 当日、子どもたちはいろいろなことわざを選んできました。「急がば回れ」「石の上にも三年」「千里の道も一歩から」といった、まもなく卒業していく6年生らしいことわざも多くありました。そして、それぞれのことわざの意味するところと、今までの自分の経験を織り交ぜた思いを語ってくれたのです。

 「私は、『七転び八起き』を選びました。その理由は、低学年の時に鉄棒ができなくて、くやしかったのですが、毎日毎日練習して、やっとできるようになりました。このことわざは、その時の気持ちとぴったりだと思ったからです。これからも、『七転び八起き』という言葉を忘れずに、努力していきたいです」

 多くの参観者が周りを取り囲んでいましたが、子どもたちは実に堂々と発表していきました。私はその姿を見て、嬉しさが込み上げ、天にも昇る気持ちになったのを覚えています。しかし、ある子が発表した時、一転して奈落の底に滑り落ちていく心境になったのです。

 「私は、『人生は山あり谷あり』を選びました。その理由は、人生とは谷のように楽なこともあれば、山のように苦しいこともあるというこの言葉が心に響いたからです・・・」

 その言葉を聞いて若かった私は慌て、間髪入れずに「その意味は反対だね」と言ってしまったのです。しかし、この子の発言を最後まで聞いてみると、「山を登るのはしんどいから苦であり、谷を下るのは力を入れなくてもいいから楽である」と、子どもなりの解釈をしていたのです。私は、この子の発表を尊重して、この子の思いに沿って、ていねいに言葉を返してあげられなかったことを大いに反省しました。
 授業は、「子どものさまざまな思いや多様な考え方を、交流し合い高め合う場」であると理解はしていました。しかし、大勢の先生方の前で良い授業をしたいという思いが先行し、教師主導の授業になっていたのです。張り切って発表したこの子のけなげな気持ちを思うと、胸が締めつけられました。この子に悲しい思いをさせたことが、今でも悔やまれてなりません。

 その後、私はこの子との対話や日記でのやりとりを通して、心の交流を図ることを心がけました。かくして、この子の学習意欲は以前にも増して高まり、保護者からもさらなる信頼を得ることができたのです。
 “子どもには「教育を受ける権利」がある” ─── 研修会や講演会で何回も何回も学びましたが、この出来事により、少しは肌感覚で理解できたと思いました。

 なお、先のことわざについてですが、「人生には順風満帆な時(山)もあれば、困難や試練(谷)もある」と解釈されることが多いかと思います。しかし、「山と谷は、ただ順境と逆境のことをいうのではない」など、意見はさまざまあるようです。どちらにせよ、人生において困難や試練に直面した時、前向きに立ち向かうことの大切さを表していると思います。

 子どもの手のようなススキの穂が、秋風に揺れています。さながら、子どもたちが手と手を組んで仲良く遊んでいるようです。楽しく語り合っているようです。子どもをど真ん中にした授業づくり・学校づくりが、今求められていると思えてきます。

 ~ 「子どもをど真ん中に」と願う、小春日和の日 ~  (勝)

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